大判例

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東京地方裁判所 昭和43年(刑わ)1521号 判決

主文

被告人らをそれぞれ懲役四月に処する。

この裁判確定の日から、被告人らに対し一年間それぞれその刑の執行を猶予する。

訴訟費用〈略〉。

理由

(罪となるべき事実)

被告人らは、昭和四三年一月一五日午前八時二三分ころ、約二〇〇名の学生とともに、全員が白ヘルメットをかぶり、軍手などをはめ、「角材の柄付きプラカード」(長さ約一二〇糎、太さ約3.5糎×約4.5糎の角材の一端に、厚さ0.27糎、縦約三五糎、横約四五糎のベニア板に「エンタープライズ実力阻止全学連」または「エンタープライズ寄港阻止」などと書いた紙面を貼りつけたのを釘で取り付けたもの)を携行し、約五列の縦隊形で、先頭列外に旗を七、八本擁し、笛を持つた二名の学生により統制されて、東京都千代田区富士見二丁目一七番一号法政大学正門を出発し、東京都公安委員会の許可を受けないで、同所から飯田橋駅方面へ向かい、「エンプラ粉砕」などと叫びながら集団示威運動を行なつた際、

第一  同日午前八時二七分ころから同二八分ころまでの間、同区富士見二丁目一〇番二六号前田建設工業株式会社正門前付近から同二丁目一〇番三六号元逓信博物館跡空地の北側道路上に所在する一九七号電柱の約一米近く西寄りの地点にいたる間の約一二〇米の道路上において、右約二〇〇名の学生と共同して、右の無許可の集団示威運動を制止する任務に従事する警察官に対し、所携の「角材の柄付きプラカード」をもつて殴打・刺突することの意思を相通じ、もつて他人の身体に対し共同して害を加える目的で右「角材の柄付きプラカード」を兇器として準備して集合し

・二 右約二〇〇名の学生と共謀のうえ、同日午前八時二八分ころ、前記一九七号電柱の約9.5米東寄りの道路上において、前記学生らの無許可の集団示威運動を制止する任務に従事していた警視庁麹町警察署長警視正青木葉贇、同庁第五機動隊隊長警視石川三郎各指揮下の多数の警察官に対し、所携の「角材の柄付きプラカード」または角材(前記プラカードのベニヤ板がはずれたもの)で殴打・刺突するなどの暴行を加え、もつて右警察官らの職務の執行を妨害し

たものである。

(証拠の標目)〈略〉

(判示事実認定の理由)

第一、本件の発生当日までにおける学生集団の行動

前掲各証拠を総合すると、標記につき次のとおり認定することができる(後記、第二、学生集団の前記行動に対応する警備側の状況、第三、本件の発生当日における被告人らを含む学生集団の行動および警備活動の経過、についても同様である)。

(1)  昭和四三年一月当時、被告人らが支持・同調する全日本学生自治会総連合、いわゆる三派系全学連中核派(委員長秋山勝行)―以下中核派という―は、アメリカ合衆国海軍原子力航空母艦エンタープライズ号の長崎県佐世保港への寄港は、わが国のベトナム戦争への参戦国化・核武装化・反戦運動に対する圧迫などにつながる問題であるとして、これに反対し、右寄港を実力で阻止することを目的とし、現地の佐世保市に中核派およびこれの同調者を総結集せしめ、同所で第一次(昭和四二年一〇月八日)、第二次(同年一一月一二日)の羽田闘争を展開することを呼びかけていた。

(2)  そして、東日本に在住する学生は、一月一五日東京駅発午前一〇時三〇分の急行西海・雲仙号に乗車して現地に赴くことに決め、出発前夜である一四日夜は、その気勢をあげるため、東京都千代田区富士見二丁目一七番一号法政大学構内で「東日本総決起集会」と称する集会を開催することとした。

(3)  一月一四日、法政大学構内には前記集会に参加する学生が夕刻ころには多数集まり、午後六時半すぎころ、同大学第一校舎から校庭に出て来た約八〇名(その後約一三〇名に増える)が同所でデモをし、同七時すぎころ、約一三〇名がデモ体形で同大学正門から道路上に出て左折し、市ケ谷方面へ約一五〇米行つたところで引返し、そして同七時半すぎころから同八時二〇分ころまでの間、約一五〇名が全員白ヘルメットをかぶり、四本の旗を先頭に隊列を組み、「エンプラ粉砕」などのシュプレヒコールをしながら、同大学正門から国電飯田橋駅前を経て神楽坂下交差点にいたる間の往復の道路上を、途中、駈足・うず巻きなどの無許可の集団示威運動を行ない、飯田橋駅前広場では約六分間、指導者がアジ演説を行なつた。

(4)  その後引き続いて、同八時二四分ころから同九時一〇分ころまでの間、同大学構内五五年館前で集会が開かれ、中核派中央執行委員青木忠および早稲田大学、都立大学、横浜国立大学などの各代表が、学生らに対し、佐世保を第三の羽田闘争にしようなどと訴える演説を行なつた。

(5)  同一〇時ころから翌一五日午前一時すぎころまでの間、同大学八三三番教室で約二〇〇名の学生が参加して集会が開かれたが、都学連委員長ら指導者は、右学生らに対し、「あらゆる国家権力と弾圧をはねのけて全員佐世保に集まろう。エンタープライズ寄港阻止のために最後まで闘い抜こう。いかなる警察権力にも勝つ闘いをやろう。最後までがんばろう。」などと訴える演説を行ない、学生らは全員起立してインターを合唱して気勢をあげた。

(6)  右集会終了後、右学生らは同大学第一校舎へ行き、すでに一四日に搬入してあつたフトン(合計約四〇〇枚)などを利用して、同大学に宿泊した。

(7)  ところで、中核派は、一四日ひるころ、新宿区神楽坂河岸一号地材木業大郷義道方より法政大学第一法学部自治会名義で、(以下いずれも単位は糎)長さ約三七〇、太さ約3.5×約4.5のタル木(杉の一等)九〇本、厚さ0.27、巾約九一×約一八二のベニア板八〇枚を購入して、同大学内の第一法学部自治会に搬入させた後、右タル木をほぼ三等分に切断して長さ約一二〇の角材をつくり、右ベニア板も縦約三五、横約四五の大きさに切断し、同板を釘で右角材の一端に取り付け、同板には「エンタープライズ実力阻止全学連」または「エンタープライズ寄港阻止」などと書いた紙面を貼りつけて、「角材の柄付きプラカード」を用意した。なお、右のタル木購入に際しては、右大郷方に赴いた学生が「今日は風が強いので看板をつくるのに太い方がいいから太いのをくれ」と称し、従来は看板をつくるのに、太さ3.6×4のタル木(一本一八〇円)を購入していたところ、当日はこれと異なりタル木としては最も太い(これ以上太くなると根太になる)4×4.5のもの(但し、実際には前記のように約3.5×約4.5しかないのが一般である。一本二三〇円)がとくに購入されたいきさつがある。

第二、学生集団の前記行動に対応する警備側の状況

(1)  警視庁は、一月一二日ころ、情報により、第一次、第二次羽田事件における過激な行動の中心集団であつた中核派が、前記第一、(1)(2)のごとき計画を実行しようとしていることを探知し、またそのころ、国鉄側(東京鉄道管理局)より、学生集団の出発に際し、第一次、第二次の羽田事件のときと同様に、無札乗車および角材などの長大物件が車内に持ち込まれて他の乗客に対し迷惑を及ぼす事態発生の虞れがあるので、国鉄側としては鉄道公安官を配置してこれを取締る処置をとるが、その際に生ずるトラブルについては然るべく考慮してほしい旨の連絡を受けていたので、同月一三日午前にこれらの情報に基づいて警備対策会議を開くことを決定し、関係者に連絡した。

(2)一三日午後三時ころ、警視庁本部屋上会議室で右警備対策会議が開かれ、同庁警備課長金原忍、同庁麹町警察署長青木葉贇(以下青木葉署長という)、同庁第四機動隊隊長飯野忠吉、同庁第五機動隊隊長石川三郎(以下石川隊長という)、同庁警備部管理官森田隆義ほか同庁警備課課長代理および係長若干名が出席した。

(3)  右会議の席上、青木葉署長より、右(1)と同趣旨の状況報告があり、これに基づいて協議がなされた結果、まず、一五日朝学生らが法政大学から東京駅へ向け出発する際に予想される事態としては、

(イ) 同大学出発後、乗車駅の国電飯田橋駅もしくは市ケ谷駅までの間において、東京都公安委員会の許可を受けない集団示威運動(以下無届けデモという)を行なう

(ロ) 角材などの長大物件を駅構内および車内に持込む

(ハ) 無札乗車をする

(ニ) 駅側において右(ロ)(ハ)の行動を制止しようとすると、そこで混乱・トラブルが生ずる

などが考えられ、そしてその対策としては、

第一に、(イ)の場合は、昭和二五年東京都条例第四四号「集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例」(以下都公安条例という)第四条により、警告・制止してデモ体形を解除させて三々五々行かせる

第二に、学生らが角材などの長大物件を携行してきたときは、それを置いて行くよう勧告はするが、これに従わない場合、および(ハ)の場合は、いずれも駅側の処置をまつ

第三に、(二)の場合は、駅および駅周辺の秩序を維持するため、状況に応じて適当な処置をとる

などが考慮されたうえ、そのための警備として、第一ないし第四機動隊の非番の各一個中隊、計四個中隊を出動させ、指揮は青木葉署長がとり、さらに非番中隊以外の部隊をも出動させる必要が生じたときは、石川隊長が機動隊の指揮をとる旨の一応の方針がたてられた。しかし、もとより、その後の学生らの具体的な行動および状況の変化に応じた警備措置をとる必要があるので、この点は青木葉署長が考慮することとし、同署長の具体的な状況判断により部隊出動の要請をする旨決められた。(なお、弁護人は、右警備対策会議は学生らを佐世保へ行かせまいとする意図のもとに開かれたものであり、同会議において全員検挙を目的とした警備実施計画がたてられた旨主張するけれども、本件において右の点を窺うに足る証拠はなんら存しない。)

(4)  そして、一四日午後、青木葉署長は、前記第一、(6)のフトン計四〇〇枚搬入の事実、同第一、(7)のタル木九〇本、ベニヤ板八〇枚購入の事実などの情報を得るに及び、第一次羽田事件中核派によつて現出された角材もしくはタル木の柄付きプラカードを携行した過激なデモが、学生集団の明朝の出発の際にも行なわれるものと判断して、前記警備方針にしたがい、警視庁本部に対し前記四個中隊の出動方を要請した。

(5)  しかし、その後、青木葉署長は、同第一、(3)および(4)の事実についての情報を得るとともに、学生らが一五日朝六時に出発するとの情報に接したので、前記機動隊の出動時間を一五日午前五時半に繰り上げるよう要請した。

第三、本件の発生当日における被告人らを含む学生集団の行動および警備活動の経過

(1)  一五日午前五時半ごろ、千代田区富士士見二丁目九番番四号麹町警察署飯田橋駅前派出所(以下飯田橋駅前派出所という)脇に出動した機動隊のうち、第一機動隊第三中隊(以下一機三中と略称し、他の機動隊中隊についてもこの例による)四七名、三機三中六〇名、四機三中五一名、計一五八名は同所にて乗車待機し、三輪田学園の方面には二機三中約五〇名が配置され、麹町警察署員は私服約三〇名を含む計約一五〇名が出動し、私服員は法政大学前の土手上を中心に、その他は飯田橋駅側と市ケ谷駅側とにほぼ半数づつ配置され、警視庁本部職員も約四〇名が出動した。なお、同六時ころ、飯田橋駅には制服警官のうち約四〇名が配置され、また同駅には、国鉄の公安職員約二〇名が警備にあたつていた。

(2)  同六時ころ、当日の警備の総指揮者である青木葉署長は、飯田橋駅前派出所で各機動隊らに対し、同時点までの情報(なお、それまでには前記第一、(5)および(6)の情報を入手していた)に基づいて状況を説明し、学生らは多分無届けデモでくるから、都公安条例に基づく警告・制止をすることが当面の任務である旨を伝えた。

(3)  同六時ころ、法政大学に宿泊した学生らが起きはじめた。

(4)  同七時半ころ、学生二名が飯田橋の出札に来て、佐世保行きの乗車券を一五一名分(うち学割一〇二名)を購入した。

(5)  なお、右学生らは、帰る途中、飯田橋駅前派出所前交差点付近で機動隊員数名により職務質問をされた。そして帰校後、学生らに飯田橋駅付近に機動隊が待機していることを報告した。

(6)  同八時〇六分ころ、八名の学生がダンボール箱四個を持つて第一校舎から出てきて、第一講堂、五八年館の付近で石を割り、石を右ダンボール箱に入れ、一個のダンボール箱を二人がかりでかかえて、同八時一三分第一校舎内に戻つた。

(7)  青木葉署長は、飯田橋駅前派出所で警備の指揮をとつており、右(3)(4)(6)の事実については、その都度その情報を得ていたが、同八時すぎころ、法政大学内の学生らが開いた集会の中で「警察官の壁をぶち破つて佐世保へ行こう」という内容の演説が行なわれた旨の情報を入手した。

(8)  一方、石川隊長は、同日午前六時ころ、前記第一、(3)の無届けデモ、同第一、(5)(6)の深夜に及ぶ集会および約二〇〇名の宿泊、同第一、(7)の多数のタル木の搬入などの事実についての情報を得たが、その後明治記念館前で催された警視庁の年頭出動訓練に参加し、同八時一〇分ころ、右訓練が終了したので、部隊に帰ろうとしている矢先、本部警備課より飯田橋へ転進して青木葉署長に協力方を命ぜられ、直ちに伝令を連れて乗用車で赴き、同八時二〇分ころ飯田橋駅前派出所に到着した。転進途中、右(6)の石を割つてダンボールに入れていること、(7)の警察官の壁を突破する演説のあつたことなどの情報に接した。

(9)  同八時二〇分ころ、第一校舎の中から被告人らを含む約二〇〇名の学生(殆んど全員が前夜同校に宿泊した者と認められる)全員が白ヘルメットをかぶり、軍手などをはめ前記第一、(7)の「角材の柄付きプラカード」を所持し、校庭に出てきて、第二校舎付近で約五列の縦隊形に整列し、トランジスターメガホン(以下トラメガという)を持つた学生の音頭で「エンプラ粉砕」のシュプレヒコールを行なつた。

(10)  そして、同八時二三分ころ、右(9)のごとき状態で隊形を整え終つた学生集団は、法政大学正門を出発し、右折して、飯田橋駅方面に向つた。先頭部分の列外には参加各大学の旗を持つた者が七、八名おり、笛を持つた二名の学生が集団の進行を統制し、なお隊列の中には旅行カバンを携行する者が若干名いるが、その者も右手にやはり「角材の柄付きプラカード」を所持しており、隊列の最後尾には石の入つたダンボール箱二個をそれぞれ二人がかりで持つて続き、先頭部分でトラメガを持つた学生の音頭により「エンプラ粉砕」などと叫びながら、ゆつくりした小刻みの駈足で、道路(道巾約一二米)の進行方向右半分を占めて進行した。

(11)  なお、学生集団は、当日・同時刻・同場所で集団示威運動を行なうことにつき東京都公安委員会の許可を得ていなかつた。

(12)  青木葉署長は、協力のため飯田田橋駅前派出所に到着した石川隊長に対し、機動隊の指揮をすべて同人に任せることにし、同時点までの状況および無届けデモで来たときの警告・制止の方法などを話し合つているうち、右の学生集団出発の報に接し、無届けデモで来たときの警告をするため、香取・屋形の両巡査を従え、駈足で法政大学正門方面に向つた。

(13)  また、これと同時に、石川隊長は、右(1)の乗車待機をしていた機動隊三個中隊に対し降車を命じ、今後同人が部隊の指揮をとる旨を伝えた後、部隊を同区富士見二丁目一〇番三八号富士見町教会前の道路端に移動させ、進行して来る学生集団から直接見えることのないように、西から東へ四機・三機・一機の順に三列縦隊で待機させた。

(14)  そして、三輪田学園方面の警備に配置されていた二機は、学生集団の出発後、その後方を追尾した。

(15)  学生集団は、その後もゆつくりした小刻みの駈足で進行を続けたが、法政大学正門から飯田橋方向へ約一六〇ないし一七〇米の道路北側端(検証調書添付の見取図第二、(ロ)の地点)にダンボール箱二個を捨てた。一個は底が抜けており、一個にはコンクリート塊・石が箱の半分位入つていた。

(16)  同八時二五分ころ、香取・屋形の両巡査を従えた青木葉署長は、同区富士見二丁目一〇番一二号佐藤ビル前付近(前記富士見町教会前から西方約二一〇米、法政大学正門から東方約二八〇米、検証調書添付の見取図第二、(二)の地点)にいたり、西方五、六十米先を全員白ヘルメットをかぶり、「角材の柄付きプラカード」を携行し、七、八本の旗を先頭に五、六列の縦隊形で「ワッショイ。ワッショイ」「エンプラ粉砕」などと叫びながら、小刻みの駈足で行進して来る学生集団を望見し、これが無届けデモにあたると判断し、同集団が三、四十米の距離に近付いたとき、屋形巡査に命じて携行のトラメガで「無届けデモはやめよ」と一回警告させた。

(17)  しかし、学生集団は、右警告を無視して進行を続け、前記佐藤ビルに近付くにしたがい小走りになつた。その勢いに押され、青木葉署長らは、もと来た方向へ後退する態勢になり、後退しながら屋形巡査において前同様の警告を二回行なつた。

(18)  同八時二七分ころ、同区富士見二丁目一〇番二六号前田建設工業株式会社正門(以下前田建設正門という)前(前記佐藤ビルから東方約六八米、検証調書添付の見取図第二、(ホ)の地点)付近で、そのころには道幅(約八米)一杯に拡がつて進行してきた学生集団の先頭部分と青木葉署長らとの間隔が狭まり、ついに接触する状態となつた。

(19)  そして、同所で、青木葉署長は、指揮棒を使用し、同集団の先頭部分を押さえる姿勢をとつて、口頭で二回に亘り「無届けデモだから解散せよ」と警告したところ、学生らは口々に、「何をいうんだ、じゃまだ、どけ」「バカヤロ、どけ、やつちやい」「バカヤロ、ぶち殺すぞ」「ポリ公帰れ」などの罵声を浴せ、先頭部分にいた学生二名位は、所携の「角材の柄付きプラカード」または旗を振りあげ、青木葉署長と屋形巡査をめがけて殴りかかつた(しかし、あたらなかつた)。

(20)  また、そのころ、学生らは、東方約一四〇米先の道路上に機動隊が待機していることを認め、「機動隊がいるぞ、やつちまえ」などと叫んだ。

(21)  その後、学生集団は駈足になり、青木葉署長らは身の危険を感じて逃げる姿勢になつて東行し、同区富士見二丁目九番一〇号内田理髪店前付近(道巾約8.4米)で、はじき出されるようになつて道路脇に身をよけた。

(22)  他方、石川隊長は、右のごとく部隊を待機させた後、前記富士見町教会前から西寄りの道路上で学生集団の進行状況を注視していたところ、同八時二七分ころ、全員ヘルメットをかぶり、長大のプラカードを携行し、道幅一杯に拡がつて気勢をあげている学生集団が、前田建設正門前付近を右のごとく青木葉署長と接触しながら東進して来るのを認め、同集団の先頭部分が同区富士見二丁目一〇番三二号前田建設富士見寮付近にさしかかつたとき、このような無届けデモを解散させて三々五々行かせるためにはその進行を一旦阻止する必要があると判断して、前記部隊に阻止隊形をつくることを命じ、同区富士見二丁目一〇番三六号元逓信博物館跡空地の北側道路上に所在する一九七号電柱の約9.5米東寄りの道路(道巾約九米)上を横断する線(検証調書添付の見取図第二、(ト)で表示された線)上に法政大学方面に向い左側から四機・三機・一機の順に三列横隊を形成させ、それが完了したのは、同八時二八分ころであつた(阻止線の形成)。

(23)  学生集団が機動隊の右阻止線の形成を現認したのは、前記前田建設富士見寮前付近(阻止線から西方約四二米の地点)であるが、気勢のあがつている学生集団はその後駈足で進行し、これまで先頭部分で旗を持つていた学生らが道路の両端に分れて遅れ、集団の先頭部分がこれより先に出て来るとともに、同所付近を先行していた私服警察官らは身の危険を感じて駈足で阻止線の方向に逃げ出した。そして、機動隊の右阻止線がほぼ完了したときには、学生集団はすでに右阻止線の手前一二、三米のところまで来ていた。

(24)  同八時二八分ころ、学生集団は、前記阻止線の直前約一〇米(前記一九七号電柱の約一米西寄り)の道路上で瞬時立止まり(このとき集団の中において先頭部分にいた女子学生に対し「女の子は危いからうしろにゆけ」との指示がなされた)、つぎの瞬間、学生集団の先頭部分が「ワアー」という喚声をあげ、所携の「角材の柄付きプラカード」を振りあげて前記阻止線を形成している機動隊に向つて突撃し、同隊員に対し殴打・刺突を加えた。また一部の学生は投石をした(大野芳男作成の写真撮影報告書貼付の写真中6の写真および証人高橋只男の供述)。なお、そのころ学生集団を追尾していた二機(右(14)のとおり)は、未だ現場に到着していなかつた。(ところで、弁護人は、右の時点における学生集団の先頭部分は、機動隊の阻止線形成により進路をとざされたため逡巡するうちに、後方を追尾して来た機動隊に押され、集団の後尾部分が前へつめてきたので、先頭部分が前面の機動隊と接触することをさけることができなかつたものであり、そのとき機動隊が警棒を抜いて襲いかかつてきたものである旨主張し、これに副う(学生側)証人中田賀統、同出牛徹郎、同槇けい子の各証言(いずれも一部)も存するが、右は前掲各証拠、とくに大野芳男、木野内幸雄、菅野勤、藤田昭夫、石原修作成の各写真撮影報告書貼付の各写真により認められる当時の現場の状況と明らかに異なり、これを措信し採用することはできない。なお(27)を参照。)

(25)  右(22)のとおり、阻止線を形成し終つたばかりの機動隊は、同(23)(24)の状況のとおり、学生集団の一方的にして過激な殴打・刺突を受けて、防禦一方の態勢となり、防石ネットも当初は阻止線南側の一部しか張る余裕がなく、阻止線は全体として少くとも七、八米は後退を余儀なくされた。その間、機動隊の広報車から学生集団に対し、「警察官に暴行するのをやめなさい」「殴るのはやめろ」「乱暴すると公務執行妨害罪で検挙する」などと警告したが、学生集団はこれに従わず、なおも攻撃を続行した。

(26)  同八時二九分ころ、石川隊長は、警棒抜けの命令と「部隊に抵抗する者は全員公務執行妨害罪で検挙せよ」という検挙命令を出し、伝令および広報車を通じて機動隊員に伝えた。

(27)  そして、前記の後退をさせられた機動隊は、検挙態勢をとり、警棒を抜き(なお前記の後退の際に警棒を抜いている隊員が一部いるが、全体の隊員が警棒を抜いたのは、検挙態勢に移る際である。この点に関する弁護人の主張については、(24)を参照)、同八時二八分少し前ころ現場に応援のため到着した五機の二個中隊(計九六名)および学生集団を追尾して現場に到着した二機の協力を得て、その勢いを盛りかえし、角材(前記プラカードのベニヤ板がはずれたもの)などで殴りかかつてくる学生らを道路北側の土手際、前記一九七号電柱の東一三米の地点にある消火栓付近と同消火栓の東7.75米の地点にある一九八号電柱の付近との間に、圧縮規制をして、検挙活動を行なつた。

(28)  その結果、学生集団のうち、被告人全員を含む一三一名を逮捕して、同八時三四分ころ、検挙活動を終了した。

第四、被告人らを含む学生集団の前記行動にあらわれた意思の内容

(一)  まず、前記第一、(1)ないし(6)のとおり、本件当時、被告人らが支持・同調する中核派は、エンタープライズ佐世保寄港を実力で阻止するため、現地における第一次、第二次羽田闘争に次ぐ実力闘争を呼号し、東日本に在在の学生は一月一五日東京発午前一〇時三〇分の西海・雲仙号で赴くことに決め、その前夜は法政大学で集会を催し、右集会において、これに参加した約二〇〇名の学生は、指導者の「あらゆる国家権力と弾圧を排除して佐世保に集まり、エンタープライズ寄港阻止のため、いかなる警察権力に対しても闘い抜こう」との呼びかけに応じ、インターを合唱するなど気勢をあげ、佐世保におけるエンタープライズ号入港阻止闘争を目指して昂揚した気分にあつたと認めることができる。

(二)  また、学生集団が「角材の柄付きプラカード」を用意したことは前記第一、(7)のとおりであり、これを佐世保まで携行する意図であつたことは証人中田賀統、同酒井清一、同槇けい子の各証言により認めることができるが、(イ)、プラカードとしての構造において、表示部分が厚さ0.27糎、縦約三五糎、横約四五糎のべニヤ板であつて、極めて軽量・小型であるのに対し、柄の部分が長さ約一二〇糎、太さ約3.5糎×約4.5糎の角材(これ以上太いと根太になる)であつて、極めて強固・長大であり、右の両部分の構造は著しく均衡を失していること(なお、弁護人は、表示部分が軽量・小型であるのは現地まで長途持ち運ぶためである旨弁疎するが、そうであればなおさらその柄の部分もこれに見合わせて軽量・小型にすべきものである)、(ロ)、しかも、右の柄の部分をつくるためのタル木を購入する際に、「今日は風が強いので看板をつくるのに太い方がいいから太いのをくれ」と称したいきさつがあること、(ハ)プラカードとしての表示内容において、殆んどが「エンタープライズ実力阻止全学連」または「エンタープライズ寄港阻止」という文言を使用するにとどまり、約二〇〇本分のプラカードとしてみるときは、全体が画一的であつて、多様な表現方法がなされていないことなどの事実に徴すると、本件「角材の柄付きプラカード」は、一見してプラカードとしての機能を有する面はあるけれども、通常の意思の表現方法としてのプラカードとして理解し難く、むしろ端的にいうと柄の部分である角材に意を用いたといわざるをえないものであつて、第一次羽田闘争以来、角材の柄付きプラカードが闘争において武器として使用された事実を併わせ考慮すると、本件「角材の柄付きプラカード」は柄の部分の角材を闘争などの際に使用する意図のもとに全体としてプラカード様に偽装された疑いがあるといわなければならない。

(三)  ところで、一五日午前八時〇六分ころ学生八名が石を割りダンボール箱に入れて用意をしたことは、前記第三、(6)のとおりであり、また、飯田橋駅へ切符を買いに行つた学生らの報告により、同駅付近に機動隊が待機していることが、法政大学内の学生らにも判つたことは、同第三、(5)のとおりであるが、右によれば、前記の石は、学生らが右機動隊に対し投石するため、集団として用意されたものと推認することができる(もしも、前記の石が前記学生八名の個人用としてのものであるならば、分量が多過ぎるし、出発に際し隊列の後尾に配置して運搬することはないであろうし、また前記の石を単に佐世保など他所へ携行するためとみることは、前後の状況とくに出発前のあわただしい最中に用意したことに徴して、あまりにも不自然である)。

(四)  そして、前記第三、(10)以降、とくに(18)ないし(25)の経過において明らかなごとく、同日午前八時二三分ころ法政大学正門を出発した後、とくに同八時二七分ころ前田建設正門前付近にさしかかつて、東方約一四〇米先の路上に無許可の集団示威運動を制止するため待機中の機動隊を認めた後の被告人らを含む学生集団の行動は、直線的であつて、機動隊に向けて加えられた攻撃は一方的にして過激なものであり、右の行動に際して遅疑逡巡した形跡もなく、またあらたな意思を生ずる事情の存したことも窺うことができない。したがつて、被告人らを含む学生集団の右行動は、単なる偶発的なものではなく、すでに統一された意思に基づく行動であるといわざるをえないものである。

(五)  そこで、以上の諸点を総合して判断すると、学生集団は、法政大学を出発する以前の段階において、佐世保に結集して実力闘争を行なうことを意図し、同所にいたる間においても学生集団の行動を規制しようとする警察側の実力行使があれば、これに対しても有形力を行使して排除することを暗黙の裡に意図していたものと推認することができるところ、右の段階における学生集団の警察官らに対する有形力の行使の意思については、実力闘争としての一つの態様を予期したにとどまり、具体的な事情を十分に考慮していない点で、いまだ抽象的・観念的な意思としての域を脱しないものと思科されるが、前記第三、(18)ないし(20)の段階になると、学生集団は、青木葉署長らの前記行動よりみて、警察側において学生集団の行動が無許可デモにあたるものとして、これを警告するばかりでなく、さらに制止する態勢をとることをすでに十分に了知したうえ、これを排除して進行しようとしていたことが明らかであり、その行動態様に徴すると、右の段階においては、飯田橋駅付近に右制止のため待機する機動隊員らに対する有形力の行使を意図したものであつて、前記の抽象的・観念的な有形力行使の意思が、具体的な事情を考慮することにより具体的、現実的な有形力行使の意思を形成するにいたつたものと思料することができる。なお、学生集団の出発後、法政大学正門から東方約一六〇ないし一七〇米の地点で石の入つたダンボール箱二個が捨てられたことは、前記第三、(15)のとおりであるが、右のいきさつについては、右ダンボール箱は相当な重量であつたので一箱を二人がかりで運んだが、隊列から遅れ勝ちであり、そのうち一箱の底が重みで抜けてしまい、一方同第三、(14)のとおり、後方から追尾して来る機動隊が見えたため、右の石を運搬している学生らにおいて、やむをえず捨てて行つたものと推測することができるところであつて、もとよりこれをもつて、学生集団全体において、飯田橋駅付近に待機する機動隊員らに対する有形力行使の意思を有したことを否定する根拠とはなし得ない。

(六)  以上要するに、同日午前八時二七分ころ、学生集団が前田建設正門前付近で青木葉署長らに罵声を浴せ、殴りかかり、そして東方約一四〇米先の路上に無許可の集団示威運動を制止するため待機中の機動隊を現認した段階においては、少なくとも、学生集団は所携の「角材の柄付きプラカード」を使用して同機動隊員らの身体に対し殴打・刺突などの有形力を行使する意思を相通じたものであつて、右時点以後の学生集団の行動は右意思に基づいてなされたものであると認定することができる。しかして、右のごとき内容の意思は、機動隊員らの身体に対し共同して危害を加える面において、兇器準備集合罪(刑法第二〇八条ノ二第一項)にいう共同加害意思にあたると同時に、機動隊員らの職務の執行を妨害する面において、公務執行妨害罪(同法第九五条第一項)にいう公務執行妨害の共謀(同法第六〇条)にもあたるものというべきであるから、結局、同八時二七分ころ、前田建設正門前付近において、学生集団は、右共同加害意思を相通ずるとともに、右公務執行妨害の共謀を遂げたものと認定することができる。

第五、本件の「角材の柄付きプラカード」の兇器性

(一) 兇器準備集合罪にいう兇器には用法上の兇器も含むと解すべきであり、用法上の兇器とは人を殺傷するに足る器具で社会通念に照らし人の視聴覚上直ちに危険性を感ぜしめるものをいうと解せられる。

弁護人は、兇器準備集合罪の立法審議過程において、プラカードの兇器にあたらないことは確約されており、本件もプラカードであるからその兇器性を判断するまでもない旨主張するが、法律の解釈にあたつて、立法上の段階において考慮された事情を十分に斟酌すべきことはいうまでもないが、またこれに尽きるものでもなく、弁護人の主張する事情が存すろからといつて、プラカードとしての性質を有すれば、一切の兇器性が排除されるものと解することはできず、問題物件ごとにその性質・形状などを十分吟味してその兇器性の有無を判断すべきである。

(二) そこで、本件の「角材の柄付きプラカード」が前記の兇器にあたるかどうかを判断するに、まず、本件の柄の部分である長さ約一二〇糎、太さ約3.5糎×約4.5糎の角材が用法上の兇器にあたることは明らかである(最高裁判所第一小法廷決定昭和四五年一二月三日裁判所時報第五五九号二頁参照)。ところが、本件物件は右のごとき角材の一端に、厚さ0.27糎、縦三五糎、横約四五糎のベニヤ板に「エンタープライズ実力阻止全学連」または「エンタープライズ寄港阻止」などと書いた紙面を貼りつけたものを釘で取り付けたものであつて、一見してプラカードとしての機能を有することは否定し難く、前記第四、(二)のとおり、柄の部分の角材を闘争の際に使用する意図のもとに全体としてプラカード様に偽装された疑いのあるものではあるものの、学生集団が一五日午前八時二〇分ころこれを所持して第一校舎から校庭に出て来て、第二校舎付近で隊形を整え、同八時二三分ころ法政大学正門を出発し、同二七分ころ前田建設付近にさしかかるまでの間においては、人を殺傷する能力を備えていても、社会通念に照らし、人の視聴覚上直ちに危険性を感ぜしめるものとは未だいえず、これを直ちに兇器とみなすことはできない。しかしながら、少なくとも、同二七分ころ学生集団が前田建設正門前付近で青木葉署長らと接触し、うち一部の学生が同署長らに本件「角材の柄付きプラカード」で殴りかかつた段階(前記第三、(18)ないし(20))においては、客観的状況からして右物件はプラカードとして使用されるのではなく、闘争の際に使用される意図が明らかに外部的に覚知され、社会通念に照らし人の視聴覚上直ちに危険性を感ぜしめる状態になつたものと思料され、右段階において本件物件は兇器性を帯有するにいたつたものといわなければならない。

第六兇器準備集合罪および公務執行妨害罪の成立

(一)  叙上の次第により、(イ)、被告人らを含む約二〇〇名の学生集団が、一五日午前八時二三分ころ法政大学正門を出発し、飯田橋駅方面へ向つた行進は、前記第三、(10)(11)(16)の事実に徴して、東京都公安条例にいう無許可の集団示威運動にあたるものであること、(ロ)、前記第五、において判断したとおり、同八時二七分ころ学生集団が前田建設正門前付近にいたつたとき、本件の「角材の柄付きプラカード」は兇器性を帯有したものと思料することができること、(ハ)、同第四、において判断したとおり、同じく八時二七分ころ前田建設正門前付近において、学生集団が東方約一四〇米先の路上に無許可の集団示威運動を制止するため待機中の機動隊を現認した段階において、同隊員らの身体に対し、所携の「角材の柄付きプラカード」を使用して殴打・刺突などする意思を相通じたこと、(ニ)、そして同八時二七分ころから同二八分ころまで、前田建設正門前付近から前記一九七号電柱の約一米近く西寄りの地点にいたる間の約一二〇米の道路上において、学生集団が右(ハ)のごとき意思に基づいて集合状態を形成していたことは、前記第三、(10)以降、とくに(18)ないし(24)(前半の部分)の事実に徴して明らかであること、などを総合すると、結局学生集団の行動は、判示認定事実第一、記載のとおりの日時・場所において兇器準備集合罪を構成するといわなければならない。

(二)  つぎに、被告人らを含む約二〇〇名の学生集団が、同じく八時二七分ころ前田建設正門前付近において、東方約一四〇米先の路上に無許可の集団示威運動を制止するため待機中の機動隊を現認し、同隊員らの右職務の執行を妨害することの共謀を遂げたことは、前記第四、において判断したとおりであり、そして、右共謀に基づき、八時二八分ころ前記一九七号電柱の約9.5米東寄りの道路上において、機動隊員らに対し所携の「角材の柄付きプラカード」または角材(前記プラカードのベニヤ板がはずれたもの)で殴打・刺突するなどの暴行を加えたことは、前記第三、(24)ないし(25)の事実に徴して明らかであるから、結局、学生集団の行動は、判示認定事実第二、記載のとおりの日時・場所において公務執行妨害罪を構成することいわなければならない。

(弁護人らの主張に対する判断)

第一、弁護人らは、学生集団の行動は単なる旅行者の集団行動であつて、示威を目的とするものでないばかりか、進行の途中において「エンプラ粉砕」などと叫んだとしても、本件は休日の早朝で、殆んど人通りのない僅かな距離の道路上における行動であるから、示威の対象を欠くものであり、したがつて都公安条例第一条にいう集団示威運動にあたらない旨主張する。

そこで、学生集団の行動についてみるに、学生集団がエンタープライズ号の佐世保寄港を阻止することを内容とする特定の目的を有したことは、前記事実認定の理由第一、(1)ないし(5)において明らかであり、学生集団が一五日午前八時二三分ころ、全員ヘルメットをかぶり、軍手などをはめ、「エンタープライズ実力阻止全学連」などと記載した「角材の柄付きプラカード」を携行し、約五列の縦隊形で法政大学正門を出発して、飯田橋駅方面へ向い(なお隊列中、旅行カバンを携行している者が若干居るが、その者も右手には「角材の柄付きプラカード」を所持している)、先頭部分でトラメガを携行した学生の音頭に応じて「エンプラ粉砕」と叫びながら、道路上を進行したことは、判示事実および前記事実認定の理由第三、(9)(10)において、それぞれ認定したとおりであつて、これらの事実に徴すると、学生集団が単なる旅行者の集団でないことは明らかであつて、学生集団の行動は、参加者相互間における意思の確認・鼓舞の程度にとどまらず、特定の目的のもとに一般公衆に対して集団の威力・気勢を示す行動にあたると思料すべきものである。また、なるほど本件当日は休日の早朝であつて、学生集団の進行した道路上は交通量の少なかつたことを窺うことができるけれども、同所は公道であつて人・車の通行の可能性のある場所であること、検証の結果によれば、法政大学正門付近から飯田橋駅までの道路上は約五六〇米の距離(道巾は広い個所は約一二米、狭い個所は約七米)があり、同道路南側には病院・人家・社屋・寮などが近接して建て並んでおり、これらの居住者に対しても影響を及ぼしうる状況下にあると認められることなどに徴すると、示威の対象としての一般公衆の存在を欠くものでないことも明らかである。したがつて、学生集団の行動は都公安条例第一条にいう集団示威運動にあたるものといわなければならない。

第二、弁護人らは、学生集団の行動が無許可の集団示威運動にあたるとしても、その規模・態様・周囲に及ぼす影響・過去の事例との対比などに照らしてこれに対し都公安条例第四条に基づく規制をする必要がない旨主張する。

ところで、学生集団は、約二〇〇名が五、六列の縦隊形をつくり、先頭部分でトラメガを携行した学生の音頭に応じて「エンプラ粉砕」と叫びながら、休日の、早朝で交通量の少ない法政大学正門付近から飯田橋駅にいたる約五六〇米(道巾は広い個所で約一二米、狭い個所で約七米)の道路上を進行しようとしたものであることは、すでにみたとおりであつて、右のごとき規模・態様の集団示威運動であれば、これにより惹き起される交通渋滞の程度は僅少であろうともおもわれる。したがつて、右の事惰だけを前提とするかぎり、過去において同所における無許可の集団示威運動に対する規制の存しなかつたこと(証人青木葉贅の証言)を引き合いに出すまでもなく、都公安条例第四条に基づく規制をする必要性は極めて乏しいといわざるをえない。

しかしながら、本件においては、前記事実認定の理由第一、(1)ないし(7)並びに第二、(1)ないし(5)のごとき学生集団の行動並びにこれに対応する警備側の事情が存するのであり、とくに、一月一四日の本件発生前夜の最終段階では、学生集団がタル木九〇本、ベニヤ板八〇枚を購入したこと、および第一(5)(6)の学生集団の行動を探知していたことなどから、第一次羽田事件以来中核派により現出された角材もしくはタル木の柄付きプラカードを携行した過激なデモが、明朝の学生集団の出発に際して行なわれることを予想することができると同時に、国鉄駅での乗車に際し長大物件の持込・無札乗車をめぐる駅側とのトラブル、そしてこれらに起因する暴力的行動など不測の事態の発生が憂慮され、社会公共秩序を乱す危険性が多分に存したのであり、警備当局の警視庁としては、これを拱手傍観することはもとより許されず、これに対処するため、一月一三日の警備対策会議で決められた警備方針に基づいて、前記同第三、(1)のごとき警備態勢をとつたことは、極めて当然の処置というべきであつて、この点につき過剰警備ないし警察比例の問題を生ずる余地はない。そして、一五日早朝、東京駅午前一〇時三〇分発西海・雲仙号乗車のための所要時間を考慮してもかなり早い時刻である午前八時二三分ころ、学生集団が法政大学を出発した段階では、前記同第三、(4)の乗車券購入の事実に徴して、無札乗車のおそれが除かれたことを認めることができるけれども、その余は前記の事情と異なる点は存しないのであつて、叙上のごとき学生集団の行動並びにこれに対応する警備側の事情が存する場合には、学生集団が無許可の集団示威運動を行なうときに、警察側においてこれを放置することなく、都公安条例第四条に基づく警告・制止をし、三々五々飯田橋駅へ赴かせるような規制措置をとることは、他面において学生集団側になんら難きを強いることでないことは明らかであるから、もとより適法にして、必要性もあるというべきである。したがつて、前記同第三、(16)ないし(19)および(22)の本件各現場において、青木葉署長および石川隊長が、学生集団の行動が無許可の集団示威運動にあたり、これを警告する必要があるものとした判断には、いずれも違法・不当と目すべき点は存しないといわなければならない。

そうすると、弁護人らの右の点に関する主張は、理由がないから、採用することができない。

第三、弁護人らは、本件の現場でなされた青木葉署長の警告および石川隊長の指揮による機動隊の阻止線の形成は、いずれもその内容・実質よりみて、都公安条例第四条の規制措置として違法である旨主張する。

まず、青木葉署長において、一五日午前八時二五分ころ、佐藤ビル前付近で三、四十米先の学生集団に向い、屋形巡査に命じ、トラメガで「無届けデモはやめよ」と一回警告したほか、その後学生集団の勢いに押され飯田橋駅方向に後退しながら、右同様の警告を二回行なつたこと、そして同八時二七分ころ、前田建設正門付近で学生集団と接触する状態となり、同署長は、指揮棒を使用し集団の先頭部分を押さえる格好で、口頭により「無届けデモだから解散せよ」と二回警告したことは、前記同第三、(16)ないし(19)のとおりであり、右の事実に徴すると、青木葉署長が学生集団に対して行なつた右警告は、同集団の行動が都公安条例にいう無許可の集団示威運動にあたるものとして、速かに中止・解散すべきことを告げたものであり、右は集団示威運動の先頭に位置していたリーダーには了解されたものと認められるばかりでなく、署長らの警告に対する学生集団側の応答の内容などよりみて、少なくとも集団の多数者において了解されたものと認めることができるから、同条例第四条にいう警告としての実質を備えたものであつて、適法であるというべきである。

つぎに、石川隊長において、同八時二七分ころ、前田建設正門前付近を道巾一杯に拡がり気勢をあげて進行して来る学生集団を認め、同集団の先頭部分が前田建設富士見寮付近にさしかかつたとき、このような無届けデモを解散させるためには、その進行を一旦阻止する必要があると判断し、一九七号電柱より約9.5米東寄りの道路上に機動隊を三列横隊に並ばせて阻止線を形成したことは、前記同第三、(22)のとおりであり、これに同第三、(10)(15)ないしの(21)ごとき学生集団の進行の規模・態様、とくにその気勢のあがつている状況を考え併わせると、右の時点において、石川隊長が、学生集団を解散させ三々五々飯田橋駅へ赴かせるために、機動隊により阻止線を形成する規制措置をとつたことは、もとより学生集団に対する挑発行為としてみることのできないことは明らかであるばかりでなく、右の措置以外に他に適当な規制措置を見い出すことは容易ではないのであり(なお、証人青木葉贇の証言によると、青木葉署長は当初縦隊による圧縮規制を考えていたようであるが、学生集団が接近した前記の状況においては、右圧縮規制の方法によりその目的を達し得たとはおもわれない)、これをとくに違法と目すべき点は存しないというべきである。

そうすると、この点に関する弁護人らの右主張も、理由がないから、採用することができない。

第四、弁護人らのその余の主張について

(一)  本件検挙は学生集団を佐世保へ行かせまいとするための罠による予防検束である旨主張するが、一月一三日に行なわれた警備対策会議の目的・内容が前記事実認定の理由第二、(2)ないし(3)のとおりであつて、同会議で学生集団の全員検挙の方針がたてられた形跡を窺うことのできないこと、またすでにみたとおり、本件警備につきその必要性があり、現実の規制措置についても違法の点は存しないこと、そして同第三、(24)(25)のように学生集団の警察官らに対する殴打・刺突は、一方的にして過激であることなどを総合すると、本件の場合は、警察側の挑発によるものでなく、また犯罪がなんら成立していない段階で検挙活動に入つたものでないことが明らかであるから、右の主張は理由がない。

(二)  警察官らの本件職務の執行は職権の濫用に亘り違法であるから、被告人らを含む学生集団の行動は正当防衛にあたる旨主張するが、すでにみたとおり、警察官らの本件警備活動において違法の点は存しないから、これを前提とする右主張は、その余の点を判断するまでもなく理由がない。

(三)  学生集団の行動は法益侵害の程度・態様の点に徴して可罰的違法性がない旨主張するが、なるほど兇器準備集合罪の点については、判示認定のとおり、時間にして一分、距離にして約一二〇米の道路上における犯行として構成されているけれども、その実体は、法政大学構内から引き続いているものであり、とくに学生集団の規模・態様に照らして、暴力的事態の発生が憂慮されたのであつて、その実質的違法性の程度はかならずしも軽微とはいい難いのであり、これを直ちに可罰的違法性がないものと断ずることはできないし、また公務執行妨害罪の点については、すでにみたとおり学生集団の警察官らに対する殴打・刺突は、一方的にして過激であり、その程度・態様に照らして、可罰的違法性がないということができないことは明らかであるから、右の主張もまた理由がない。

(四)  公訴権の濫用を主張するが、判示認定事実の性質・態様並びに本件の審理にあらわれた諸事情などに徴して、これを公判請求した検察官の本件公訴提起処分が濫用に亘るものでないことは明らかであるから、右主張も理由がない。

(法令の適用)

被告人らの判示第一の所為は刑法第二〇八条ノ二第一項、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に、同第二の所為は刑法第九五条第一項、第六〇条にそれぞれ該当するので、それぞれ所定刑中懲役刑を選択し、右は同法第四五条前段の併合罪であるから、同法第四七条本文、第一〇条により重い判示第二の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で、被告人らをそれぞれ懲役四月に処し、なお情状により被告人らに対し同法第二五条第一項を適用してこの裁判確定の日から一年間右各刑の執行をそれぞれ猶予することとし、訴訟費用については、刑事訴訟法第一八一条第一項本文、第一八二条により、主文第三項記載のとおり(なお、証人熊上光夫に支給した分については、昭和四四年六月一七日第一一回公判期日に出頭した分を除くその余の四回分は、被告人らに負担させない)定める。

よつて、主文のとおり判決する。(牧圭次 中山善房 松浦繁は転官につき署名押印することができない)

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